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灘校の歴史教科書問題は、単なる同族嫌悪に過ぎない

以下のようなツイートが話題になっている。

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確かに圧力としては不当であり、それに戦う校長は立派だ。だが、書いてある内容が、賛美する程立派だろうか?

この問題を簡単に言えば、「慰安婦問題で韓国の主張に迎合するような左翼的色合いの教科書を採択したら、右翼勢力から攻撃されたから戦った」ということ。これは無条件で立派なのだが、問題はその後だ。

歴史家の保坂正康氏の『昭和史のかたち』( 岩波新書) を読んだ。その第二章は「昭和史と正方形̶ ̶ 日本型ファシズムの原型̶ ̶ 」というタイトルで、要約すると次のようなことである。

ファシズムの権力構造はこの正方形の枠内に、国民をなんとしても閉じこめてここから出さないように試みる。そして国家は四つの各辺に、「情報の一元化」「教育の国家主義化」「弾圧立法の制定と拡大解釈」「官民挙げての暴力」を置いて固めていく。そうすると国民は檻に入ったような状態になる。国家は四辺をさらに小さくして、その正方形の面積をより狭くしていこうと試みるのである。

保坂正康氏の論評を引き合いに、現代の日本政府や右翼勢力日本会議も含む)が、国民をコントロールしようとしているのではないかと問題提起する。

 

いやいや、ちょっと待ちなさいって(笑)。

日本政府や右翼のような一部勢力がそれをできるのであれば、他国の政府や左翼勢力だって、同じことをできる可能性はあるよね?

どうも灘校の校長は、そこまで頭が回らなかったのか、あるいは意図的に無視をしているのか、だ。

 

この問題で右翼勢力がやっていることは、右翼勢力が普段批判している左翼勢力の行動と何も変わらない。徒党を組んで騒乱を起こし、自分と異なる主張をすることすら潰そうとする。一橋大学の学園祭で、百田尚樹氏の講演会が中止になった問題があったが、あれも左翼的な人たちの騒乱的嫌がらせが原因とみられている。

自分が誤りと思う見解に対して、相手にその見解をしゃべらせたうえで、反対の見解を主張するのは良い。だが最初から相手に見解をしゃべらせないようにするのは、ある種の暴力による支配だ。結局、右翼勢力も左翼勢力も、やっていることは同レベルなのだ。

 

同様に、この校長が指摘する「国家のファシズム化」だって、右も左も似たようなものだよね、と指摘しなければ偏向したチープな見解と言われても仕方があるまい。

 

「情報の一元化」は、左翼系マスコミの「報道しない自由」を都合よく行使する姿勢にも表れている。校長氏は「政府による新聞やテレビ放送への圧力が顕在的な問題となっている」しか見えていないようだが。

「教育の国家主義化」だって、「左翼的教科書は、中国・韓国が教えたい歴史観を刷り込むもの」と捉えるのであれば一種の「外国による」国家主義化だ。校長氏は「政治主導の教育改革が強引に進められている中、今回のように学校教育に対して有形無形の圧力がかかっている」としか見ていないようだが。

「弾圧立法の制定と拡大解釈」という点では、さすがに外国勢力が都合よく日本の法律を制定することはできないにしても、「外国勢力に都合の悪い法律の成立を妨害する」という形で影響力を行使することはできる。校長氏は「安保法制に関する憲法の拡大解釈が行われるとともに緊急事態法という治安維持法にも似た法律が取り沙汰されている」としか見れていないようだが。

「官民挙げての暴力」については上に指摘した通りで、ヘイトスピーチや騒乱による威力誇示で、異論者を委縮させようとしているのは右も左も同じだ。

 

どうも灘校の校長氏は「政府権力による情報弾圧」しか頭にないようだが、こうしてみると「マスコミによる情報弾圧」や、その背後にある「外国勢力による情報弾圧」だって同じように見え隠れしている。

 

この問題を正しく認識するのであれば、政府や右翼勢力がどうこうではなく、「我々は、様々な勢力の思惑に歪められた情報戦の中にいる」と考えるべきなのだ。それが「書いてある内容が、賛美する程立派だろうか?」「チープな見解」と評価する理由だ。

 

ちなみに教科書については、例え左翼的であろうと、検定を通った教科書を採択するのに問題はない。その教材を使ったからって、左翼的な教育が為されると決まるわけでもないし、左翼的な教育をされたからって生徒がそれに染まるわけでもない。

だいたい、こういう高偏差値校の生徒というのは、教師の言うことを疑ってかかるのが好きなのだ(だから高偏差値にもなるし、エリートにもなる)。だから本物の灘校OBであれば「左翼的な教育をしたら、生徒が左翼的になるだろ」なんて言わないし、そんな主張は鼻で笑うだろう(笑)。

今頃、灘校の生徒は、この校長が英雄のように扱われるのを、鼻で笑っているかもしれない。