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牛乳石鹸のCMに反発する人は、イジメられている子も見捨てる子育てをするのだろう

話題になっている牛乳石鹸のCM。

反発している人がいるとのことだが、そういう人達が親になったら、「自分さえ幸せであれば良く、周囲の不幸は平然と見逃して良し」とする子育てをするのだろう(笑)。

 

今回、主人公は、敢えて自分の家族を待たせて、傷ついた部下(仲間)を慰めるという道を選んだ。それを批判するということは「仲間の不幸」は「家族の幸せ」と比べて、常に優先順位を低く扱わなければいけないと子供に教えるに等しい。

当然子供は、仲間の不幸(例えばイジメとか)を平然と無視して、自己の幸せのみを優先するような子供に育つことだろうさ(笑)。

 

ただ、問題の本質はそこではない。

 

物事の「正しさ」なんて、唯一に決められるものではない。

そもそも「正しさ」なんて、実は事前には分からず、後から見返して分かるものかもしれない。

挙句、事前に「正しさ」が分かっていたところで、なかなかその通りに行動できないのが人間というものだ。

 

確かに今回の主人公の「仲間を優先する」という選択が、絶対的に正しかったわけではない。かと言って、絶対的に間違っていたわけでもないだろう。子供も、自分よりも仲間を思った父親を、将来誇りに思う日も来るかもしれない。

 

それを自分の価値観にのみ照らし合わせて「正しくない」とヒステリックに喚くことに、何の意味があるだろうか?

 

なかなか見通せない「正しさ」、そして無数にある「正しさ」の中から、人は日々選択を重ねるしかない。だけど選択してみたところで、それが本当に「正しかったか」と自問し悶々とするばかりだ。下手をすると「間違っている」と気づいてしまうこともある。

 

そんな不器用な毎日を「間違っている!!」とヒステリックに叫ぶのではなく、「最善は尽くした」と許そう…というのが、牛乳石鹸のCMの意図であろう。その「寛容さ」が「洗い流そう」というキャッチコピーが象徴するところなのではないか。まさに現代に流れる「絶対的正しさがあるという妄想」や「正しさのみ信奉する姿勢」「誤りに対する不寛容」に対するアンチテーゼということだ。

 

その意味では、CMやCMの描く世界に対する不寛容な反応は、制作者側としては「そういう態度こそが、問題なんだよ」という気持ちだろう。

 

ポリティカルコレクトネスへの懐疑という点では、この方の意見が鋭い(というか、この方はいつも鋭くて勉強になる意見を書かれる大先輩だ)

fujipon.hatenablog.com

また、この方の意見も「男性像についての不寛容」という点での指摘はするどい。最後の段落で、不寛容な見解に堕しているのが残念だが。批判が飛び火するのを恐れて日和ったのか、そもそも実は筆者も不寛容なのか、分からないけれども。

wezz-y.com

女性に対しては「女は家を守るべきだ」なんて言ったら批判されるし、逆に「女も男と同等に働け」と言っても多様性を盾に批判される。が、男性に関しては「今、正しいとされる男性像を演じることが正しいのか」と疑問を呈しただけで叩かれる。ヒステリックで異常だ。

 

繰り返すが、正しい父親像なんて一つではない。昔の父親像は今の父親像からしたら「間違い」かもしれないが、別にそれで尊敬されてないわけでもない。子供に迎合して甘やかすことが正しい子育てでもないだろう。「約束を破ることは正しくないけれど、仲間を守ることは正しい」という観点もあるかもしれない。

 

絶対的唯一の正しさがあるなんて妄想を振りかざし、それに合わないものを否定する不寛容を止めよう。そんな意欲的なCMを批判する人は、牛乳石鹸に洗い流してもらうがいい。