ニュース観察

日々のニュースにツッコミを入れる

ロザン宇治原氏の慧眼(安倍総理の「こんな人たち」発言に寄せて)

昨日、当ブログで書いた趣旨のことを

news-watcher.hatenablog.com

 

ロザン宇治原氏がテレビで発信したようだ。

netgeek.biz

 

非常に素晴らしいことだ。

このように、キチンとフェアに物事を見て、発信する人が増えてくれることを祈りたい。

「マスコミが持って行きたい論調に、大衆を扇動する」という時代は、もう終わるべきだ。我々も扇動されない賢さを持たなくてはならない。

毎日新聞の劣化

毎日新聞の劣化がすさまじい。

基本的に私は右寄りな考えを持つ人間ではあるので(特に自民支持とかではないが)朝日新聞毎日新聞をはじめとする左派系マスコミの主張には共感できないことが多い。

 

ただ、その中でも毎日新聞には嫌悪感を感じてしまうのだ。

敵を定めると、曲解を駆使して敵の主張を捻じ曲げ、それを元に敵に侮辱や中傷を並べ、讒言を垂れ流しまくり、しかも自社の意見が一切の議論の余地のない真理であり、社会正義であるかのように断定し、敵を社会的に抹殺しようとする。

その流れは、もはやテロと言っても良い域だ。

 

その点、最近は朝日新聞の方が良識的にすら思える(笑)。

朝日新聞の主張には、彼らの理想とする社会を感じることが多い。その理想社会には共感できないにしても。嘘や捏造があるにしても、目指すのは理想社会の実現だ。その点、嘘や捏造の先の目的として、敵の抹殺が軸にある毎日新聞とは異なる。

 

あくまで傾向としての話であり、私の主観・感想に過ぎないレベルなので、あまり目くじらは立てないで欲しい。が、最近はYahooなどのトップに表示されるタイトルを見ただけで、ほぼ100%毎日新聞を当てられるようになったのだから、その特異性は確かにあると信ずる。

 

まぁ想えば、今日の産科崩壊・医療崩壊の原因を作ったネガティブキャンペーンを張ったのも毎日新聞だ。ということは、劣化したのではなく、そもそもそんなものだったのかもしれない。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

対立軸の矮小化と、安倍総理の「こんな人たち」

詭弁の一つの手法に「対立軸の矮小化・すり替え」というのがある。
例えばこうだ。

A「1+1=3だ」

B「それは違うぞ」

A「私のことが嫌いだからって、他人の言うことを否定するのはおかしい。もう少し他人の発言を受け入れる度量を持て」

あるいは、こうだ。

A「日本の経済再生のためには、若者を1人、神に生贄にすれば良い」

B「生贄で経済再生などばかげてる」

A「私のことが嫌いだからって、他人の言うことを否定するのはおかしい。もう少し他人の発言を受け入れる度量を持て」

もちろん実際にはAは「数学的に間違っているから」だったり「合理的・論理的に筋道の立っていない意見だから」だったりで否定されているに過ぎない。なのに、否定の理由を「好き嫌い」に矮小化し、Bが偏狭な理由で自分の意見を否定していると対立軸をすり替えている。

 

今、首相の「こんな人たち」を論って非難する人が多いが、これも対立軸の矮小化でありすり替えだと言って過言ではない。

 

 

headlines.yahoo.co.jp

 江川さんの指摘する通り、確かに安倍総理は、周囲を敵と味方に分けて物を考えがちというのはあるかもしれない。

しかし、江川さんにせよ、他の批判者にせよ、「自分や自民党を支持しないからって、『こんな人たち』と敵認定するのはおかしい」と、対立軸を「支持政党」だと言い張っている。「自分を支持する有権者・国民」と「自分を支持しない有権者・国民」を対立軸だとしている。

 

安倍総理の発言を「国民軽視だ」と評するのは、そういう対立軸を設定しているからだ。

 

しかし、実際に総理の発言を見れば、その対立軸の設定は恣意的な矮小化だと言わざるを得ない。

安倍首相「建設的な議論をしていきたいんです。皆さん、あのように人の主張の訴える場所にきて、演説の邪魔にするような行為を私たち自民党は絶対にしません。私たちはしっかりと政策をまじめに訴えていきたいんです。憎悪からは何も生まれない。相手を誹謗中傷したって皆さん何も生まれないんです。こんな人たちに皆さん、私たちは負けるわけにはいかない、都政を任せるわけにはいかないじゃありませんか」

  

この安倍さんの発言を読めば「私たち」と「あの人たち」を分ける対立軸は

  • 「人の主張の訴える場所にきて、演説の邪魔にするような行為」をするかどうか
  • 「政策をまじめに訴えていく」かどうか
  • 「憎悪や誹謗中傷を手段として用いる」かどうか

であることは明らかだ。要は「民主主義や言論の自由、政治活動の自由を守る側か、破壊する側か」が真の対立軸だ。

 

「いやいや、安倍の本音は自分を支持するかどうかだ」と言う人もいるだろう。それを頭ごなしには否定はしない。だが、「言葉とは異なる本音がある」と主張するのであれば、それを立証する責任はそういう主張をする側にある。その立証ができないのであれば、あくまで「私の個人的見解だが」に留めるべきであろう。

 

安倍総理の日頃の言動から、今回も、自分を支持/自分を非指示で分けていた可能性は否定できない」くらいなことは言えるかもしれないと個人的には思うが、でもそれも所詮は「推測・見解」であって、今回そういう意図であったことの「証明」にはならない。

 

そして「こんな人たちでも国民だ」という点も、「民主主義や言論の自由、政治活動の自由」という日本国の価値観の根幹に否定するようなことをしておいて、どこの国民だと言いたい。ある国家の基本ルールは否定するが、国民としての立場は行使したい、というのは虫の良い話だ。

 

だいたい自分達は「安倍を監獄に」とか「安倍に死を」くらいなことを言っておきながら「こんな人たち」って言われたくらいで被害者気取りとか、ちゃんちゃらおかしい(笑)。

 

ちなみに、江川さんは上記のブログで「ユーモアで笑い飛ばすくらいの余裕を持て」と言っているが、だったらご自分も「『憎悪からは何も生まれない』というけど、『こんな人たち』って言葉には、かなりの憎悪がこもってますよねぇ」と皮肉を言う余裕を持てば良かったのではないだろうか。

本当に「安倍自民が負けた」のか?

今回の都議選を受けて「安倍自民の驕りが生んだ結果だ」的に、今回の自民の敗北を「安倍批判・政権批判の結果」いう論調の野党・マスコミが多いけど、本当にそうなのだろうか。

また、当の自民都議からも「国政の人達のせいで負けた」みたいな声が聞こえるが、本当にそうなんだろうか?

 

現実は、単に「自民都議団への不信任」というだけじゃないのかと思うのだが。別に「安倍政権に不信があるから」ではなく(不信はあるかもしれないが、それと都議選の結果は関係ないという意味)、まして「国会野党が支持されたから」ということでもなく。

 

仮に安倍政権への批判票を入れ、あるいは野党への支持票を入れるということであれば、共産党民進党はもっと議席数を伸ばして良いはずだ。でも現実は全く異なる。

 

それより単に、「都民ファースト(というより小池知事)の政策手腕に期待するから」とか「自民都議団の横柄な態度が気に食わない」とか、単純に都政観点での理由の方が大きいのではないだろうか?

 

少なくとも、「国政観点」か「都政観点」かという詳細な分析もしないまま、「安倍批判の結果だ」と決めつけるのは、単に現実を自分達の願望の型にはめて言い張っているだけに過ぎないだろう。まずは詳細な分析をして然るべき根拠を見つけて判定するのが正しい考え方だ。

 

とは言え、反安倍連合(野党・マスコミなど)が、「正しい考え方」をしなきゃいけない義理はないと言えばそうだし、事実なんてどうでも良いから、とにかく安倍を叩ければ満足…で良いのかもしれない(それは情けないくらい卑しい生き方だと個人的には思うけど)

 

また自民都議団も「自分達が信用がないから負けた」というより「国政の人達のミスで負けた」ということにした方が気分がいいだろう。

 

そう考えると、「安倍政権に逆風が吹いたから負けた」は検証を要するにしても、「負けたことで安倍政権に逆風が吹く」というのは正しそうだ。

 

そういうのに踊らされる姿勢が、果たして回りまわって自分達に何をもたらすのか、良く考えなきゃいけないところだが。

さて、開設はしてみたものの

最近は「ん?」と思うニュースが多い。

ニュースに対する意見の中にも「ん?」と思うものが溢れている。

そういうのに共感できれば特に「そうだね」で終わる話。敢えて同じことを私が繰り返すまでもない。

 

だが「それは違うんじゃないか?」「こういう話もするべきじゃないか?」というニュースや意見には口を挟みたくなる。

自分のSNSで色々書いたりもしていたのだが、個人で楽しい話をしたい友人が多い中、政治的や社会問題の話題、それも批判的な切り口での話はウケが悪い(笑)。

 

ということで「それは違うんじゃないか?」「こういう話もするべきじゃないか?」というモヤモヤを吐き出すために作ったブログである。

 

なんでこんな話を最初に書いたかと言うと、結構「お前は他人の意見に噛みついてばかりいる」と批判してくる人がいるんですよ(苦笑)。

 

いやいや、それ当たり前ですから。他人の意見に納得してる時に、それをわざわざ時間書けて書きませんから。わざわざ時間かけるのは、他人の意見に納得できない時ですから。

 

ということを、最初に釘を刺しておきます。