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対立軸の矮小化と、安倍総理の「こんな人たち」

詭弁の一つの手法に「対立軸の矮小化・すり替え」というのがある。
例えばこうだ。

A「1+1=3だ」

B「それは違うぞ」

A「私のことが嫌いだからって、他人の言うことを否定するのはおかしい。もう少し他人の発言を受け入れる度量を持て」

あるいは、こうだ。

A「日本の経済再生のためには、若者を1人、神に生贄にすれば良い」

B「生贄で経済再生などばかげてる」

A「私のことが嫌いだからって、他人の言うことを否定するのはおかしい。もう少し他人の発言を受け入れる度量を持て」

もちろん実際にはAは「数学的に間違っているから」だったり「合理的・論理的に筋道の立っていない意見だから」だったりで否定されているに過ぎない。なのに、否定の理由を「好き嫌い」に矮小化し、Bが偏狭な理由で自分の意見を否定していると対立軸をすり替えている。

 

今、首相の「こんな人たち」を論って非難する人が多いが、これも対立軸の矮小化でありすり替えだと言って過言ではない。

 

 

headlines.yahoo.co.jp

 江川さんの指摘する通り、確かに安倍総理は、周囲を敵と味方に分けて物を考えがちというのはあるかもしれない。

しかし、江川さんにせよ、他の批判者にせよ、「自分や自民党を支持しないからって、『こんな人たち』と敵認定するのはおかしい」と、対立軸を「支持政党」だと言い張っている。「自分を支持する有権者・国民」と「自分を支持しない有権者・国民」を対立軸だとしている。

 

安倍総理の発言を「国民軽視だ」と評するのは、そういう対立軸を設定しているからだ。

 

しかし、実際に総理の発言を見れば、その対立軸の設定は恣意的な矮小化だと言わざるを得ない。

安倍首相「建設的な議論をしていきたいんです。皆さん、あのように人の主張の訴える場所にきて、演説の邪魔にするような行為を私たち自民党は絶対にしません。私たちはしっかりと政策をまじめに訴えていきたいんです。憎悪からは何も生まれない。相手を誹謗中傷したって皆さん何も生まれないんです。こんな人たちに皆さん、私たちは負けるわけにはいかない、都政を任せるわけにはいかないじゃありませんか」

  

この安倍さんの発言を読めば「私たち」と「あの人たち」を分ける対立軸は

  • 「人の主張の訴える場所にきて、演説の邪魔にするような行為」をするかどうか
  • 「政策をまじめに訴えていく」かどうか
  • 「憎悪や誹謗中傷を手段として用いる」かどうか

であることは明らかだ。要は「民主主義や言論の自由、政治活動の自由を守る側か、破壊する側か」が真の対立軸だ。

 

「いやいや、安倍の本音は自分を支持するかどうかだ」と言う人もいるだろう。それを頭ごなしには否定はしない。だが、「言葉とは異なる本音がある」と主張するのであれば、それを立証する責任はそういう主張をする側にある。その立証ができないのであれば、あくまで「私の個人的見解だが」に留めるべきであろう。

 

安倍総理の日頃の言動から、今回も、自分を支持/自分を非指示で分けていた可能性は否定できない」くらいなことは言えるかもしれないと個人的には思うが、でもそれも所詮は「推測・見解」であって、今回そういう意図であったことの「証明」にはならない。

 

そして「こんな人たちでも国民だ」という点も、「民主主義や言論の自由、政治活動の自由」という日本国の価値観の根幹に否定するようなことをしておいて、どこの国民だと言いたい。ある国家の基本ルールは否定するが、国民としての立場は行使したい、というのは虫の良い話だ。

 

だいたい自分達は「安倍を監獄に」とか「安倍に死を」くらいなことを言っておきながら「こんな人たち」って言われたくらいで被害者気取りとか、ちゃんちゃらおかしい(笑)。

 

ちなみに、江川さんは上記のブログで「ユーモアで笑い飛ばすくらいの余裕を持て」と言っているが、だったらご自分も「『憎悪からは何も生まれない』というけど、『こんな人たち』って言葉には、かなりの憎悪がこもってますよねぇ」と皮肉を言う余裕を持てば良かったのではないだろうか。